犬のお医者様は遠い目をして何か想い出している様子でした。
確か5、6年ぐらい前。まだあの子が成人する少し前のことだったかな。いや、もう少し前だったか。
僕が山向こうの神社まで往診にいった帰りのこと。
あの時はひどく雨に降られて、もうその日は診療所に戻るのを諦めて神社に住んでいる鹿じいさんと昔話に華を咲かせていたっけ。
鹿じいさんは特に悪いところもなく健康そのものだったけど、さすがに歳が歳だけに月に一度は顔を見に行くのが今も続く僕の日課だった。
いつも平和なこの森のことだし、あの子も年頃とはいえ見かけとは違いしっかりしているから、そう心配はしていなかったのだけど、そういうときに限って予想しないことがおこるものなんですね。

「大変じょ!大変じょ!!先生!しぇ、しぇんせい!!」
突然、病院に飛び込んできたのはタヌキの子供でした。
「どうしたの?タヌキくん?」
迎えたのはお医者さんの一人娘の「犬のお嬢さん」でした。
「先生!先生は!?」
「先生はいま山の向こうの神社まで往診にいってますよ」
「そ!そんなぁ〜!!こ、困るじょ!!困るんだじょぉ〜」
タヌキくんはその場で泣き出しました。
このタヌキくん、悪戯好きなのに憶病者で泣き虫で有名でした。
「そう泣かないで話してみて」
「そ、村長に叱られるじょ、先生を連れてこないと怒られるんだじょ」
タヌキくんは混乱しているようです。
「どうして先生に用事なの?誰か病気にでもなったの?」
なだめるように優しく犬さんはタヌキくんにたずねました。
「そうだじょ!そうだじょ!血を流して倒れてるんだじょ!!」
「血!?誰かケガしたの!!?なぜ早く言わないの!!」
「怒らないで欲しいじょ〜>< だから村長に先生を呼んでくるようにいわれたんだじょ」
「ケガの具合は!?今どこにいるの!?」
「わからないじょ。怖くて誰も近づけないじょ」
「怖い!?村長はどうしてるの!?」
「村長も怖くて近づけないじょ。だからみんな遠くから眺めてるだけだじょ」
「何してるの!!今すぐそこに連れていって!」
「怒らないで欲しいじょ。人間を見るのははじめてだじょ!」
「人間!?人間がいるの!?」
「そうだじょ、みんな人間が怖くて近づけないから、先生を呼んでくるようにいわれたじょ。先生は人間と暮らしたことがあるからきっと何とかしてくれるっていってたじょ」
犬さんはしばらく考えてから言いました。
「今すぐ用意をするから私をそこに連れていって」

皆さんはご存知かもしれませんが、この心迷いの森には動物たちしか住んでいません。
人間はこの森に近づくこともできなければ、入ることも当然できません。
神様がいたずら心を起こさない限りはね。

森の外れ、少し高い丘のふもとにたくさんの動物さんが集まっていました。
みんな木に隠れたり草むらに隠れたり岩に隠れたりしてそっと様子を眺めていました。
雨はザーザーと降り続けています。

動物さんたちの見つめる中心に一人のお爺さんが倒れていました。
お爺さんは頭から血を流していて丘には滑った跡がありましたので雨で滑ってしまったのでしょう。
どう見ても動ける状態ではありませんでした。
雨は降り続きお爺さんの体温を奪います。
人の住まないこの森でお爺さんは絶望的な状態でした。
神様はなんと惨いことをするのでしょうか。
動物さん達は人間に化けることはできても人間と会ったことがないものがほとんどです。
村長のカバおじさんも同じでした。
カバおじさんはとても怖がっていましたがとても優しい動物さんでした。ここにいる動物さんたちもみんな優しい動物さんたちです。
だから何とかして助けてあげたいと思っているのですが、どうしても怖くて近づくこともできないのでした。
ただただ見守るだけ。

そんな中、使いに出したタヌキくんが戻ってきました。
「連れてきたじょ!!」
「おお、先生はどこに!?」
「先生は山向こうにできかけていて留守だったじょ。そのかわりに犬さんを連れてきたじょ!!」
少し遅れて犬さんが大きなカバンを抱えて走ってきました。
「遅くなってすみません、患者はどこですか!?」
「あ、あそこ!あそこに!!!」
少し息をきらしながら走ってきた犬さんの目に今にも息絶えようとしているお爺さんの姿が映りました。
「何してたんですか!!あんなところにおいておいたら死んでしまうじゃないですか!?」
「わ、わしらはに、人間が。。」
「いいわけはいいです、いますぐ手伝って!」
犬さんはためらいもなく人間に近づき人間の脈を取りました。
「早く!!何してるの!?」
まだ遠巻きに見ている動物さんたちを叱りました。
それでも動物さんたちは近づこうとしません。
「そんなにケガはしてないようね。まだ大丈夫」
「お爺さんを診療所へ運びます!誰か手伝って!!」
それでも動物さんたちはためらっています。
「もういいです!」
犬さんは小さな身体でお爺さんを助け起こし背中に背負おうとしましたがどうしても、小さな犬さんにはそれが出来ず何度も潰されてしまいました。
それでも犬さんは必死で何度も何度も起き上がりました。
それを見ていた動物さんたちはもう怖いという気持ちもなくなり一緒に助けたいという気持ちになりました。
まずはカバさんがそしてタヌキくんが仲間に加わりました。
そして多くの動物さんに抱えられお爺さんは無事に診療所へ運ばれることになったのです。

動物さんたちはとても怖かったでしょうね。

診療所に運ばれたお爺さんの身体は冷えきっていました。まずは部屋を暖めお爺さんをベッドに寝かせました。
着替えはさすがに人間のものは無いので毛布でくるんであげました。
お爺さんの服はアライグマさんに洗濯してもらい暖炉の前で乾かしています。
お爺さんの傷は思ったよりもひどくなく、ケガで起き上がれないというより身体がやせ細っているところをみると起き上がる力がなく雨に降られて余計に体力を奪われてしまいそのまま動けなくなったようです。
今は治療を終え身体も温まり眠っていますが時折、嗚咽するような声で「ばあさん」と呼び続けていました。
歳をとっているということと体力が奪われているということからまだ油断はできません。
それに風邪もひいてしまっているようで熱も出ているようです。

とにかくできることはしました。あとはお爺さんの生きる力に任せるしかありません。
犬さんは時折せき込むお爺さんの口にのどを潤す程度に薬草を煎じたものとはちみつを与えました。
とにかく身体がやせ細って体力がないお爺さんに少しでも栄養をとってもらおうとできるだけのことをしました。
熱が出ているので頭も冷やしました。
時折お爺さんが嗚咽すると「大丈夫ですよ。大丈夫」と声をかけてあげるのでした。

そんな犬さんが心配でタヌキくんも一緒に残ってお手伝いをしていました。
お湯を炊いたり、薬草を煎じる番をしたり。水を汲んできたり。それは一生懸命に働きました。

お爺さんはおばあさんを呼び続けます。
息も荒く良くなる気配がありません。
犬さんはタヌキくんに向かって言いました。
「今すぐ人間のおばあさんに化けて!」
「え!?な、なんでだじょ!?」
「いいから早く!!」
「そんなのしたことないじょ」
「つべこべ言わないで今すぐ化けなさい!」
一生懸命手伝っているのに踏んだり蹴ったりのタヌキくん。
叱られてビクッとなって泣きそうになりながら何とか教科書でみた人間のおばあさんに化けてみました。
「こ、これでいいじょ?」
「そしたらお爺さんの手を握って!」
「嫌だじょ!人間は怖いじょ!!」
「だまって言うことをききなさい!きかないと村長に言って叱ってもらいますよ」
もうダメです。
タヌキくんは村長がとても怖いのです。いつも悪い事をして叱られているからなんですけどね。

タヌキくんは震えながらお爺さんの手を持ちました。
「こ、これでいいじょ!?」
「そしたら一緒にこういって」
「お爺さん私ですよ。」
「お、、、おじいさん、わたしですじょ」

「元気出してください。」
「元気をだしてくださいじょ」

「お爺さんのことが心配でやってきたんですよ。」
「お爺さんがしんぱいできたんだじょ」

「ほら目をあけて、さあ一緒に帰りましょう」
「ほら目を。。。目はあけないで。。。」

「違うでしょ!さあもう一度」
「ほら目をあけて、帰えってしまえだじょ」

キッと犬さんににらまれたタヌキくんはもう一度言い直しました。
「ほら目をあけて、一緒に帰りましょうじょ」

「よくできました。私がいいというまでずっと繰り返しそういうのよ。優しくね」
「ええええ〜だじょ」
「不満?」
「いえ、大丈夫だじょ」

タヌキくんは何回も何回も犬さんに言われたまま繰り返し繰り返しお爺さんに話しかけました。
もちろん、おばあさんの声で。

明け方近くになるとお爺さんの容態は落ち着いてきました。そして手を握って一生懸命語りかけてくれる変な姿をしたおばあさん?の姿を目の端に捕らえました。
どう見てもおばあさんの姿をしているのですがなぜか耳が頭の上にあって、ふさふさした毛が生えているのです。しかも顔にはヒゲがあってちょっと面白い姿です。
そんなおばあさんがこっくりこっくりとしながらも手を握って優しく声をかけてくれています。
「何やらばあさんの声が聴こえたので起きてみたが、ばあさんや面白い姿をしておるのお、天国ではそんな姿になるんじゃののぉ~」
「そうかいそうかい、ばあさんにまで心配をかけてしまったか」
「お前がいなくなってからとても寂しくての。どうしてもお前にもう一度だけあいたくてさまよっておったんじゃ」
「でももう一度あうことができたのぉ。そうかそうか、お前は元気を出して帰れと言うのかわかったわかった」
「儂はまだまだやらなきゃならんことがあるんじゃな」
「お前とひと目だけでもあえてよかった」
お爺さんはそう心の中でつぶやくとまた眠りにつきました。

しばらくすると犬のお医者様が帰ってきました。その後ろから大きな白い鹿がついてきています。知らせを受けた犬のお医者様を送るために鹿じいさんが娘さんに案内を頼んだのでした。

犬のお医者様は犬さんを見ると満面の笑みで「よくやってくれたね」と声をかけました。
犬さんは急に力が抜けたようにその場に座り込みました。

「おまえもよく頑張ってくれた。怖かっただろう」タヌキくんに向かって声をかけました。
「もう元の姿に戻ってお家に帰りなさい。あとは私に任せて」
そういうと犬のお医者様と鹿さんは眠っているお爺さんに近づいていきました。
「ああ、大丈夫だもうすっかり元気になっている」
「さあ、そんなところに座り込まないで、ほら、お爺さんの服を着せるのを手伝って」
犬の先生は犬さんにいいました。
服を着せ終わると
「よろしいですか?」鹿さんは犬のお医者様に声をかけました。
「ああ、頼むよ」
「わかりました」鹿さんはお爺さんを抱えると森の向こう、山の向こうへと飛び去りました。

目が覚めるとお爺さんは自分の家のベッドの中にいました。
いろいろ迷って旅したこともすべて夢だったのでしょうか?
家から出ると村の人たちから突然戻ってきたお爺さんを見て喜びの声をあげました。
「ジジムが帰ってきたぞ!」
「爺さん大丈夫か!?」
「森の方へ行ったときいて心配してたんだぞ」
「おお!無事だったんだな爺さん!」

多くの村の仲間に迎えられ、お爺さんは自分が戻ってくることができたことを神様に感謝しました。
そして、数日間留守にしていたことが本当であること。ベッドの中で見た夢が事実であったことを知ったのです。
お爺さんはそのことを決して村人に話しませんでした。
知っているのは記録係の私といま読んでいる皆さんだけ。

悲しみにとりつかれたお爺さんは悲しみのかわりに多くの人々に迎えられ温かい気持ちを得ることができたのです。

ジジムを村まで送った鹿さんは犬のお医者さんにそのことを報告しました。
「それでは役目がございますので、私はここまでで」
「ありがとう!鹿じいさんによろしくな」

「今日は大変だったね。あらかたの話は使いのものにきいたよ」
「怖くなかったかい!?」
「怖くはありませんでした。私も昔は人間と一緒に長い間暮らしましたし、優しくしてもらいましたので人間は嫌いではありません」
「そう、いい人と命の時間を過ごしたんだね」
「はい。。。」
「ずいぶんたくましかったそうだね」
「恥ずかしいです」
「そう、でもそれぐらいでいい。人は優しいだけでは生きられないからね」
「はい」
犬さんはそのままお爺さんの眠っていたベッドに倒れ込んで眠ってしまいました。

おやすみなさい。犬のお嬢さん。
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