経済音痴ですが、シルビオ・ゲゼルの「減価するお金」の仕組みは面白いと思います。
もう枯れた理論と評価されておられる方もおられますがそうなのかな?いま必要な理論じゃないかな?と思います。
お金を使わないでおくとお金がどんどん減っていくという仕組みで、お金の価値がさがっていくというもの。
お金の価値がさがることで、お金を早く使わなくてはいけなくなり経済を活性化させるという理論です。
最初、シルビオ・ゲゼル研究室の「この理論の試金石となるロビンソン・クルーソー物語」を2ちゃんねるかその他の記事か忘れましたが読みました。
なるほどなとは思いましたがすぐに忘れてしまいました。
その後、僕の大好きな童話作家「ミヒャエル・エンデ(はてしない物語やモモ著作)」がNHKの特集にでていてその内容が本になっているということで「エンデの遺言」という本を読みました。この本には「シルビオ・ゲゼル理論」について書かれており著作を探しているうちに、また、この理論の試金石となるロビンソン・クルーソー物語にたどり着き、ああ、これがゲゼル理論なのだとわかり、さらに興味が湧きました。
さて、「エンデの遺言」の中に地域通貨による経済を回復したという内容が書かれており、その内容が興味深く読ませていただきました。内容はエンデの遺言を読んでいただければと思います。
この地域通貨、日本でも大々的に取り上げられましたがその後どうなったのか、おそらく盛り上がらなかったのだと思うのですが最近あまり聞きません。細々とやっておられるのでしょうか。
おそらくは銀行、企業を巻き込むことができずただのクーポン券やポイントカードようなものになってしまったのではないかと思います。
それでもこの地域通貨という仕組みはとても面白いと思います。
僕らは生まれたころから「お金」が普通にありました。
実際、
・「お金」がなければ商品を買うことができない。
・「お金」を貰わなければ働く意味がない。
という価値観で満たされていると思います。
しかし、経済とは本当に「お金」なのでしょうか?
「お金」は労働の対価で労働した「評価」を具現化したものであると思います。
この評価である「お金」を手に入れるためにまるで「勲章」やエースパイロットの「☆」のように集めるのに夢中になります。
「お金」中心の経済であるためもちろん当たり前のことです。
でも労働の「評価」はお金でなくても構わないはずです。
「地域通貨」であっても、「大根」や「米」や「肩たたき券」、「お手伝い券」でもいいわけです。
草むしりを手伝うとお金ではなくてそのような券を貰えるという活動をしている地域が昔テレビで特集を組まれていたように思います。
労働を「提供する側」と「される側」にお互いに価値を見いだせばそれが経済。
田舎の方で良く見かける物々交換がそもそも経済なのだと気づきました。
「お金を払ってまで欲しくはない」けれどお金を介さない場合には「僕が持っているものを欲しいと思う人もいるのではないか?」ということに気づきました。
今までなぜ考えなかったのか不思議なぐらいです。
お金を介さないと「そんなことをしても仕方がない」と考えていたからでしょう。
長々書きましたが体制が整い次第、実験的に上記の理論を実践してみたいと思います。
といっても地域通貨を実践するのではないですけどね。